腕は2本……あるんだァーッ!!!

CSでZを観る機会があった(初視聴)ので雑感。
なかなか面白かったので。




■テレビ放映版(全50話)


 ファーストを観たことがあったので、絵にはあまり期待していなかったけど、意外に綺麗でいま観てもうんざりはしない。大崩れすることも少なく、最近のアニメに比べて骨太のデッサンは寧ろ好感がもてるくらい。
 全体としてみた場合、退屈さはあまり無かった。特定キャラやパターンについてはあったけど。

  • カミーユの思考、行動はほとんどの場合「人として正しい」と言えるのが特徴

 ニュータイプとしての特性を考慮しても、倫理的な潔癖さは群を抜いている。
 ただし、行動のもたらす結果を考えなければ、という場合が多い。


 それは理不尽な態度をとる人間に噛みついて反論する姿勢や、助けを必要としている相手(敵陣営の人間だろうと)に共感し、時には献身する様子から見てとれる。


 ただ彼の価値観は青年へと移って行く多感な時期を想定して作られているため、嫌悪を抱く視聴者も出ることが推察される。
 初めてモビルスーツに乗ったとき、自らに暴力を振るった軍人を威嚇する行動をとる行為。力の差に慢心し、愉悦とともに横暴をはたらく人間には非常に効果的といえる。
 父親殺しについても、周囲が見えない人間(他者)に対し苛立ちを覚える。また、自分の親族であることを嫌悪する。
 エマ・シーンに代表される周囲の女性に対し、表面的に拒絶することはあっても、母性を求め依存してしまう。一方、幼馴染のファ・ユイリィと打ち解けることは少なく、多くを求めすぎているようでもある。

 全編に渡る敵役として度々登場する。「力こそ正義」というティターンズで彼は成り上がりを決意する。が、人間としての成長はほとんど描かれない。少し我慢強くなるだけ。
 ライラ、マウアーと彼を見守ってくれる女性が次々と現れるのが不思議だ。ここでも母性愛のようなものは存在する。ただ、二人ともカミーユの手で撃墜される。戦場に出ている以上仕方のないことだが、ジェリドはカミーユに異常とも言える執着を増幅させていく。
 ただし、彼の不幸はある種、身から出た錆(マウアーを失うことは特にそうだ)で私情で行動する自身に原因がある。彼は軍隊やシロッコにいいように利用される。
 再三の戦闘でピンチになっても結局は逃れ続ける。終盤に至ってはただの死に損ない。もううざったくてうざったくて。

 戦艦アーガマにおいて、メインキャラクターのモビルスーツ乗りのうち、男性はシャア、カミーユ、とカツ・コバヤシ。その他はエマ・シーンレコア・ロンドファ・ユイリィと女性も多い。
 艦内でのカミーユの人間関係はややハーレム気味かもしれない。ただし、本編中でエゥーゴアーガマ・クルーで直接的な(恋愛)関係描写があったのはレコアとシャアだけだった。ヘンケンは劇場版のみ。


 本編中で直接台詞で語られることはないが、初めカミーユはレコアに対して憧憬や思慕を抱いているように見える(表情やリアクションから)。ただ、レコアの側はわりとそっけない。
 元ティターンズのエマへは、それよりも信頼の色が濃く、より対等に互いを気にかける様子が感じられる。ただし、エマ・シーンが本作品で引き受ける役割は圧倒的に"母性"の色が強く、カミーユと親密さはあっても、世話焼き役のお母さんのよう。
 女性キャラクターのなかで、最も非の打ち所がないのがエマであり、ある意味メイン・ヒロインといってもいいと思ってしまった。直接的な描写はなくとも、カミーユとの間に“絆”はあった筈だし、まあ恋人だったかとなると妄想の領域でしかありませんが。


 年上の二人と比較して、カミーユはファに惹かれる様子は見られない。シャワーに出くわしどぎまぎするシーンはあるけど。
 気心の知れた仲であることと、ファの側からお節介をしたがるのも要因かもしれない。ミステリアスな成分が足りない、というわけ。


 そして、カミーユは敵側のパイロット、フォウ・ムラサメに惹かれる。記憶操作を施された強化人間のフォウは精神的な不安定さを孕む。
 フォウの存在は19話タイトルにあるように「シンデレラ」彼らはニュータイプだからこそ出会った瞬間にお互いを理解できる。カミーユがフォウに惹かれていくのに違和感を持つ人もいるかもしれません。どこがいいんだ? って。
 でもそれはナンセンスです。だって「シンデレラ」なんだから。仕方ないじゃん。


 闘いの中、離れ離れになったフォウを、やはりティターンズ陣営のサラ・ザビアロフロザミア・バタムに投影してしまうカミーユ


(続く……かも。クワトロとかヤザンとか劇場版との差異とかに触れる予定)